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人類初の月着陸と同じ日に政治家としてスタート
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▲地元の後援者に支えられて那覇市議会に初当選
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政治の道30年、念願は米軍基地の整理縮小
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| 私が政治の道に踏み出してから、今年の七月二十日でちょうど三十年になりました。昭和四十四年(一九六九)七月二十日は、世界中をアッといわせたあのアポロ十一号が人類初の月面着陸をした日ですが、私が那覇市議会議員選挙に初当選した日でもあります。 この写真は、私にとってまさに「政治家三十年の出発の日」ともいえる感慨深いものです。現在、那覇空港のある私の地元は戦前の小禄村で、戦後は村の七五%が強制的に米軍基地となり、残り二五%の地域に住民がひしめき合って住みました。昭和二十九年(一九五四)に小禄地区は那覇市と合併。当時は市の予算も少なかったのでしょうが、道路一本造るにも、水道を引くのにも、地域代表の議員がいないと、すべて後回しにされるという状況でした。 そんな事情で先輩の方たちから、地域の声を代表しての出馬を勧められたのでした。私自身はその後の県会、そして国会へなどとは毛頭考えていませんでした。が、周囲から待ったなしで推されて県会へ進み、次いで当時の西銘知事に国会へと要請されましたが、強く辞退したのです。しかし、知事にそれでも男かと叱咤され、ならばやるしかないと、昭和五十八年(一九八三)、ロッキード事件・田中判決直後の厳しい環境の総選挙に出て、国会へ歩を進めることが出来ました。 次回の衆参両院同日選挙(六十一年)では僅差で苦杯をなめ、この道を一時断念しましたが、県民は断念を許さず、奮起一番、平成二年の総選挙に再挑戦し、おかげさまで上位当選を果たし今日に至っています。日本の平和と安定の維持は当然ですが、沖縄における米軍基地の圧倒的占有の現状は偏頗といわざるを得ません。県民の権益、公益を守るために、米軍基地の負担分散を今後も訴えていきたいと念じています。終戦を十四歳で迎え、苛烈な沖縄戦をくぐり抜けた一員としても、偽りのない願いなのです。 |